大判例

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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)10102号 判決

原告

高松英雄

右訴訟代理人

大屋勇造

黒田隆雄

被告

右代表者法務大臣

奥野誠亮

右指定代理人

島尻寛光

外九名

被告

中尾喜久

被告

入江実

被告

亘理勉

被告

鎮目和夫

右被告五名訴訟代理人

齋藤健

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一当事者間に争いのない事実

被告医師らがいずれも東大病院に勤務し、被告国の被用者として原告の治療に関与した医師であること、原告が昭和四一年六月一日の東大病院中尾内科一般外来を訪れて被告入江の診察を受け、同月九日に再び同内科で診察を受けたところ、末端肥大症と診断されて入院を勧められたこと、原告が同月二七日に被告入江の紹介で中尾内科へ入院し、放射線治療を受けたこと、放射線治療は東大病院放射線科の被告亘理が担当し、同年七月一一日から同年八月一九日までの間に合計三一回(一回一六〇レントゲン、総線量四九六〇レントゲン)にわたりコバルト六〇の放射線照射を実施したこと、原告は同月六日に退院したが、同月一九日まで外来通院して右総線量に達するまで放射線照射を受けたこと、原告が同年一一月九日から同月二二日まで中尾内科へ再入院したこと及び右再入院期間中は各種検査が行われただけで放射線照射が実施されなかつたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二診察の経過と原告の症状の変化

まず、原告に対する診療の経過とそれに伴う原告の症状の変化について検討する。

〈証拠〉によると、以下の事実を認めることができる。

〔発病と経過〕

1  原告は、昭和六年九月一六日生れであるが、昭和三四年ころから写真で顔貌の変化が認められるようになり、昭和三八年ころから服や手袋の寸法が合わなくなつて、発汗、鼻漏及びくしやみが著明となり、歯列に間隔ができるようになつた。昭和四〇年六月ころから筋力が低下し、倦怠感があり、同年末ころから感冒に罹患しやすくなつて、その際に左顔面に重苦しく引きつる感じがあつたが、昭和四一年四月ころからは左前頭部に限局した痛みとなり、朝晩にズキンズキンと痛むようになつた。

2  原告は、昭和四〇年末ころから町医者に感冒の治療を受けていたが、軽快しなかつたため、近くの病院で診察を受けていたところ、末端肥大症ではないかと指摘され、精密検査のために日大病院を紹介されたので、同病院で受診したが、ベッドがあかず、すぐに入院することができなかつた。

〔第一回入院〕

3 そこで、原告は、昭和四一年六月一日、東大病院中尾内科一般外来を訪れて被告入江の診察を受け、同月九日、再び受診をしたところ、末端肥大症と診断されて入院を勧められ、同月二七日、同内科へ入院した。入院時の主訴は、頭痛、鼻漏及び全身倦怠感であつた。なお、原告の受持医は訴外高木医師であつたが、同年七月一一日、訴外森田医師に交替した。

〔入院時の所見〕

4 原告は、身長一六七cm、体重七二kgで、前頭骨及び顎骨が突出した末端肥大症特有の「ごつい」顔貌を有し、手足が非常に大きく、皮膚も厚く、声が低くて脊椎前屈があり、発汗が著明であつた。

5 レントゲン写真では、トルコ鞍の風船状拡大、後床突起の菲薄化、前頭洞拡大、手指・足指の末筋骨のキノコ状拡大及び軟部組織の著明な肥厚等が認められた。なお、トルコ鞍の大きさは、長さ一八mm(正常値五ないし一六mm)、深さ一五mm(正常値四ないし一二mm)であつた。

〔検査成績〕

6 原告は、昭和四一年六月二九日、眼科の訴外山崎医師の診察を受けたが、視野・眼底とも正常であつた。同年七月二日、基礎代謝値はプラス二六%であり、同月五日に行つた腰椎穿刺では、脳脊髄液に異常は認められなかつた。また、同月六日に行つた頸動脈撮影では、腫瘍のトルコ鞍上部への伸展は認められず、インスリン感性テストの結果は、感性が低下していた。さらに、右同日、入院前(同年六月九日)の血中成長ホルモン値が判明したが、55.0mμg/ml(正常値0.5ないし7.5mμg/ml)であつた。この数値は、外来時に採血したという状況や血中成長ホルモン濃度に日内変動があることを考慮に入れても、正常人では示すことのない高い数値である。

以上の所見及び検査成績から、原告の末端肥大症は活動性のものと診断された。

〔治療方針の決定〕

7 被告亘理は、昭和四一年六月三〇日、訴外高木医師から原告に対する放射線治療について相談を受け、レントゲン写真でトルコ鞍の風船状拡大が認められ、また、後床突起が破壊はしていないが菲薄化していて、視力・視野障害がないこと等から、原告は放射線照射の適応がある旨のコメントを与えた。

被告鎮目和夫(以下「被告鎮目」という。)も、講師回診の折に原告を診察し、訴外高木医師から原告に対する放射線治療について相談を受けた。当時、東大病院脳外科の訴外佐野教授が、放射線照射をすると稀に下垂体卒中を起して視力低下をきたすことがあるという理由で、なるべく手術をするよう奨励していたので、被告鎮目は、その点を注意はしたが、末端肥大症に対する治療法としては、手術と放射線照射しかなく、手術は、腫瘍がトルコ鞍上に出ていたり、視力・視野障害があるときに行い、それ以外のときは、手術の危険性(死亡率が一〇ないし二〇%近くあつた。)を考えて放射線照射を行うというのが当時の一般常識であつたので、被告鎮目も、原告に対して放射線照射を行うことに賛成した。

そして、昭和四一年七月七日、主任教授であつた被告中尾の回診により、原告に対する治療として放射線照射を実施することが最終的に決定された。

〔入院中の放射線照射〕

8 放射線照射は、放射線科の被告亘理が担当し、五〇〇〇レントゲンを予定総線量として、昭和四一年七月一一日から下垂体部にコバルト六〇により一日一門、左右交互に五×五cmの照射野で一日一六〇レントゲン(一四三ラド)、週六日の照射が開始された。照射は、右同日から同月一六日まで、同月一八日から同月二三日まで、同月二五日から同月三〇日まで及び同年八月一日から同月六日までの間に合計二四回実施され、その間の照射線量は合計三八四〇レントゲンであつた(以上の事実のうち、放射線照射が放射線科の被告亘理によつて担当され、同年七月一一日から一日一六〇レントゲンのコバルト六〇の照射が開始されたことは当事者間に争いがない。)。

〔入院中の原告の一般症状等〕

9 入院時の主訴のうち、鼻漏及びくしやみは、薬剤投与により、入院後間もなく軽快した。

昭和四一年七月五日、前記腰椎穿刺の後、激しい頭痛を訴えたが、鎮痛剤投与により軽快した。同月六日、前記頸動脈撮影の後、頸部の疼痛があり、この痛みは同月一一日まで続いた。また、同日には、静脈性腎孟撮影を行つたため、嚥下痛も訴えた。

昭和四一年七月九日、血中成長ホルモン濃度の日内変動を測定したが、午後零時三〇分に9.6mμg/mlの最低値を示しただけで、それ以外は二〇mμg/ml代ないし三〇mμg/ml以上の数値を記録した。

10 昭和四一年七月一三日、外泊から帰院後、咽頭部に中等度の充血と左肺野背面に乾性ラ音が認められたので、感冒薬を投与した。右徴候は、同月一五日まで続いた。また、同日、原告は、放射線照射を開始してから食欲が低下したと主張し、その後も時折食欲不振を訴えているが、食べ始めれば食べることができ、退院時まで病院食をほぼ全量摂取した。

11 昭和四一年七月一六日、軽度の頭痛を訴え、以後退院時まではほぼ毎日のように激しい左偏頭痛を訴えたが、その都度鎮痛剤の服用により一時的な軽快がみられた。しかし、原告は、左偏頭痛が激しくなるにつれて神経質になり、同月六日の頸動脈撮影以後左偏頭痛がでてきた等と主張して、受持医を困らせることが多くなつた。

12 昭和四一年七月一八日、耳鼻咽喉科の訴外鳥山医師の診察を受けたところ、末端肥大症との関係は不明であるが、鼻中隔の高度彎曲と高度肥厚が認められた。また、中鼻道に漿液性分泌物が認められたので、これがくしやみの原因と考えられた。

なお、前記放射線照射継続中に、眼底の検査と白血球数の測定が数回行われたが、眼底には異常は認められず、白血球数にも入院時の比較して特段の増減は認められなかつた。

〔退院及びその後の放射線照射〕

13 かくして、入院中必要な諸検査も終了し、経過観察の結果も良好で、通院治療が可能と判断されたので、原告は、昭和四一年八月六日、前記入院時の主訴のうち頭痛のみを残して退院した。そして、外来通院により、同月八日から同月一一日まで及び同月一七日から同月一九日までの間に合計七回にわたり前記術式による放射線照射を受け、その間の照射線量は合計一一二〇レントゲンであつた。これにより、原告は、5.5週の間に総線量四九六〇レントゲン(四四三四ラド)の放射線照射を受けたことになる。

14 右放射線照射の結果、照射中二〇mμg/ml代ないし三〇mμg/ml以上であつた血中成長ホルモン値が、照射終了一週間後である昭和四一年八月二五日には、0.25mμg/mlにまで低下した。

しかし、退院時ころから頭痛に加えて、耳鳴り、嘔気及び食欲不振等の症状が発生し、嗜眠傾向も現われて、入院前はトビ職として土木工事の重労働に従事していたのに、全く仕事ができなくなつてしまつた。昭和四一年九月中旬ころには、右症状は軽快したものの、新たにめまいを感じ、朝起床時に左眼がかすむようになり、同月二〇日には、血中成長ホルモン値が15.5mμg/mlと再び上昇した。

〔第二回入院〕

15 昭和四一年一一月初旬ころ、再び激しい頭痛が出現したので、原告は、同月九日、頭痛検査の目的で東大病院中尾内科へ再入院した。頭痛に対して鎮痛剤を投与しながら各種検査を行つたが、ついにその原因は判明しなかつた。レントゲン写真で、第一回入院時と同様の頭蓋骨及びトルコ鞍の変化が認められ、トルコ鞍の大きさは、長さ一七mm、深さ一五mmであつた。同月一日に採血した血中成長ホルモン値は、42.0mμg/mlと再び高くなり、発汗が著明であつて、第一回入院時と比較して症状の改善は認められなかつた。なお、眼科的診察では、第一回入院時と同様に視野・眼底とも正常であつた。その結果、原告には再治療が必要で、放射線の再照射の適応があると判断されたが、原告は、同月二二日、経済的理由から退院した。

〔その後の診療〕

16 原告は、昭和四一年一一月二六日、生活保護を受けるために日大病院荻原内科を受診し、そのころから生活保護を受けるようになつた。その後も同内科へ外来通院し、頭痛は大分軽快したが、昭和四二年二月二五日、頭痛、くしやみ及び背部の神経痛様の疼痛を主訴として同内科へ入院した。右入院時の所見では、東大病院第一回入院時と比較して身長が一七〇cmと三cm伸びたこと以外には著明な変化は認められなかつた。しかし、同年三月初旬ころには、自覚症状もほとんどなくなつた。

17 昭和四二年三月中旬ころ、原告の受持医の訴外林裕人医師は、原告とともに東大病院へ被告入江を尋ね、同被告に末端肥大症の治療法について相談した。当時、末端肥大症の治療には放射線照射が有効とされていたが、被告入江が追跡調査をしてみると、血中成長ホルモン値の高い患者がかなり残つていることが発見されたので、同被告は、従来の照射線量では十分な治療効果が得られないのではないかと考え、被告亘理と相談の結果、一度照射をしても血中成長ホルモン値が高くて活動性の症状のある患者に対しては、従来照射した線量の約半量を半年あるいはそれ以上経過した後に再照射するという方針で治療にあたつていた。そこで、被告入江は、原告に対しても前回の照射線量の約半量を再照射するのがよくはないかとの意見を述べた。その結果、日大病院荻原内科は、脳外科では手術を勧めていたが、視力障害のないこと及び手術の危険性等から、原告に対して放射線の再照射を行うことに決定し、三〇〇〇レントゲンを予定総線量として、昭和四二年三月一七日からコバルト六〇により二×二cmの照射野で一日一〇〇レントゲン(九五ラド)の照射を開始した。ただし、一日の照射線量は、同町四月一一日には一五〇レントゲン(一四二ラド)に、同月二〇日には二〇〇レントゲン(一九〇ラド)にそれぞれ増加された。しかし、同月初旬ころから頭痛、食欲不振、嘔気及び易疲労感等が現われるようになつたため、右照射は同年五月四日で中止され、その間の照射線量は合計二四〇〇レントゲン(二二八〇ラド)であつた。

18 原告は、昭和四二年五月一〇日、日大病院荻原内科を退院したが、その後も頭痛、背部痛及び全身倦怠感等を主訴として断続的に同内科へ外来通院している。そして、その間に身長は伸び、体重は増加して、昭和四九年には、身長が一七二cm、体重が七九kgとなり、顔貌も一層「ごつく」なつた。

19 昭和四八年二月から三月にかけて、東大病院放射線科の訴外林茂樹医師が同科で過去に放射線治療を受けた末端肥大症患者について骨変化及び糖尿病等の合併症の発生の有無を追跡調査したが、原告も、同年三月一四日、これに応じて訴外林茂樹医師の診察を受けた。その際、原告は頭痛及び倦怠感を訴えた。そして、レントゲン写真によると、原告には、トルコ鞍の風船状拡大、トルコ鞍底及び後床突起の菲薄化、前頭洞の突出及び拡大、頭蓋骨の肥厚、過剰骨形成、指骨及び趾骨の著明な変形並びに足底軟部組織の肥厚等が認められた。

また、昭和四九年一〇月一六日、原告は頭痛、めまい及び睡気を主訴として東大病院第一内科を受診し、以後同内科へ外来通院して治療を受けている。なお、右初診時において、原告の末端肥大症の症状は依然として活動性と考えられたが、トルコ鞍には若干の改善が認められた。

〔鑑定時の症状〕

20 さらに、昭和五二年三月一二日、鑑定人鳥塚莞爾及び同小野山靖人が原告の診察を行つたが、その際、原告は全身倦怠感、睡気、耳鳴り及びめまいを訴えた。そして、診察所見では、末端肥大症特有の顔貌、大きな手足及び厚い軟部組織が認められたが、神経学的な欠落症状は認められず、照射野の皮膚障害や脱毛現象も認められなかつた。また、各種検査成績によると、聴力検査では感音障害は認められず、眼科検査では視力、視野、眼球運動等に異常がなく、脳波は正常範囲であつて、CTスキャンによつても脳に萎縮や壊死の部位を認めなかつた。レントゲン写真でトルコ鞍の風船状拡大を認めたが、後床突起の菲薄化には改善が認められた。しかし、頭蓋骨の肥厚は増加し、末節骨のキノコ状拡大はより著明となつた。なお、血中成長ホルモン値は5.7mμg/mlとやや高値であつたが、ブドウ糠負荷試験及びTRH負荷試験で異常反応を示し、l-dopa負荷試験で反応を示さなかつた。これにより、原告にはホルモン産生の活動性の下垂体腺腫が残つていることが確認された。

右認定事実によれば、原告は、東大病院へ第一回入院をするまでは、鼻漏、くしやみ及び感冒の際の軽度の頭痛といつた程度の症状しかなく、多少の倦怠感はあつてもトビ職として重労働に従事することができたのに、同病院へ入院して放射線治療を受けているうちに、食欲不振感が現われて、頭痛も激しく、かつ、持続的となり、さらに、同病院第一回退院時ころから耳鳴り、嘔気、全身倦怠感、睡気及びめまい等の症状も加わつて就労することができなくなり、以後右症状が軽快・発生を繰り返して慢性化し、現在もなお右症状に苦しみ、継続的に通院治療を受けていることが認められる。

三原告の現症状の原因

そこで、次に、右に認定した原告の現症状が原告の主張するように放射線障害によるものか否かについて検討する。

1  まず、〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一)  末端肥大症は、頭痛、嘔気、嘔吐、食欲不振、睡眠、倦怠感及び体温調節の異常等、種々の症状を引き起すが、右症状のうち、頭痛はやつかいな愁訴で、ほとんどすべての末端肥大症患者にみられるものの、特別な様式も示さず、その部位も一定していない。しかし、最も一般的には、頭痛は中等度の強さ(もつとも、下垂体卒中が起きた場合には、耐えられないような激しい頭痛となる。)で間歇的であつて、下垂体腫瘍の増大に伴い偏頭痛となる。また、末端肥大症患者は精神障害を起しやすく、ほとんどすべてがかなりの感情不安定性を示す。

(二)  右のような症状を呈する末端肥大症に対する治療法としては、手術的に下垂体腫瘍を切除する手術療法と放射線の照射により腫瘍の発育を停止させ、成長モルモンの過剰分泌を抑える放射線療法とがあり、ともに約七〇年の歴史を有するが、原告が放射線治療を受けた昭和四一年当時は、手術による死亡率や障害率が高かつたため、放射線療法が末端肥大症に対する最も一般的な治療法であつた。放射線療法は、特に、下垂体腫瘍が比較的小さく、トルコ鞍上に伸展していない場合に適応があるとされ、臨床的にも約七〇%に有効であるとされていた。

(三)  しかし、昭和三八年に血中成長ホルモン濃度の測定法が確立されてからは、血中成長ホルモン値の変化によつて治療の効果を検討することが可能になり、これによつて放射線照射後も血中成長ホルモン値に著明な低下の認められない症例の存在することが判明したため、放射線療法の効果を疑問視する学者も現われたが、その後の研究により、放射線療法によつても数か月ないし数年後には血中成長ホルモン値も低下し、自他覚症状の改善がみられることが確認されて、放射線療法は、当時のみならず現在においても、末端肥大症に対する有効な治療法とされている。もつとも、現在では、頭蓋骨を開けることなく、鼻腔からする新しい手術法が開発されて従来のような死亡や障害の危険性がなくなつたため、放射線療法は補足的なものとなつている。

(四)  ところで、かつては、脳神経組織は放射線感受性が低いため、相当の大線量を照射しても障害が発生しないと考えられていたが、超高圧X線の普及によつて比較的容易に大線量を照射することが可能となるに従い、種々の障害が報告されるに至つている。

(五)  放射線障害は、その発生する時期によつて、急性障害(放射線宿酔)と晩発性障害とに大別することができる。

彊神経組織に放射線を照射した場合、生体の放射線に対する反応に個人差があるため、照射開始時あるいは照射期間中に、頭痛、嘔気、嘔吐、食欲不振及びめまい等の症状が発生することがあり、これを急性障害(放射宿酔)という。これらの急性症状は、照射野が大きい場合にその発生頻度が高くなる傾向があるが、通常一過性であつて、照射の終了あるいは適当な薬剤の投与や暗示によつて軽快し、照射終了後も持続することは稀である。なお、急性障害に対する決定的な診断法は、眼底浮腫が認められることである。

また、照射期間中に右のような変化が認められなかつた場合でも、照射終了後数か月ないし数年を経過した後に脳神経組織の硬化性又は壊死性変化が認められることがあり、これを晩発性障害という。晩発性障害は、照射した範囲、容積、線量、期間及び照射野の大小等の諸因子によりその発生頻度に差がある。

(六)  そして、多数の症例報告の蓄積及び長年の研究の結果、末端肥大症に対して放射線治療を実施する場合、当時のみならず現在においても、一般的に三×三ないし六×六cmの照射野(この照射野は、脳神経組織に対する放射線照射でも最も小さい照射野に属する。)で一日一五〇ないし二〇〇ラド、総線量四五〇〇ないし五〇〇〇ラドの放射線を三五ないし五〇日間に照射するというのが有効かつ安全な照射術式と考えられている。

2 右認定事実に前記二の認定事実を考え併せると、次の理由により、原告に放射線障害が発生したものと認めるに足りず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

(一)  まず、照射術式について検討してみると、東大病院では、五×五cmの照射野で一日一六〇レントゲン(一四三ラド)、総線量四九六〇レントゲン(四四三四ラド)の放射線を昭和四一年七月一一日から同年八月一九日までの四〇日間に照射し、日木病院では、二×二cmの照射野で一日一〇〇ないし二〇〇レントゲン(九五ないし一九〇ラド)、総線量二四〇〇レントゲン(二二八〇ラド)の放射線を昭和四二年三月一七日から同年五月四日までの四九日間に照射している。そうすると、右両病院における照射術式は、いずれも過去の経験から安全とされている範囲内のものである。ただ、両者の総線量を単純に加算すると六七一四ラドとなつて、右範囲をこえることになるが、全照射期間が約一〇か月と長く、かつ、その間に約七か月間の照射休止期間があることを考慮すれば、決して過大な照射とは考えられない。したがつて、照射術式の観点からは、原告に対する放射線治療は、現在までの医学知識に照らして著しい障害を惹起する可能性のあるものではない。

(二)  次に、急性障害について検討してみると、原告は、放射線照射開始後、食欲不振、激しい頭痛、耳鳴り、嘔気等の症状を訴えるようになつているが、これらの症状は、急性障害が発生した場合の症状と一致している。したがつて、放射線による急性障害が発生したのではないかとの疑いが一応持たれる。しかしながら、原告に対する放射線治療における照射野は、前記のように五×五cm又は二×二cmで、脳神経組織に対する放射線照射の中でも最も小さいものであるから、急性障害が発生する頻度はそれほど高くはない。また、急性障害であれば、その症状は通常一過性であるのに、原告の右症状は、照射終了後も軽快・発生を繰り返して長期間にわたつて持続している。その上、照射期間中に行われた眼底検査では何らの異常も認められていない。したがつて、急性障害が発生したとは考えられない。

(三)  さらに、晩発性障害について検討してみると、鑑定時の諸検査において、脳波は正常範囲であつて、CTスキャンによつても脳の萎縮や壊死が認められていない。また、照射線束内に含まれると考えられる内耳や視神経にも異常が認められていない。したがつて、晩発性障害が発生したとも考えられない。

(四)  他方、症状の観点から検討してみると、原告の現症状は末端肥大症の症状そのものでもある。特に、頭痛は中等度の強さ(もつとも、原告は激しい頭痛だと訴えているが、通院治療を受けられる程度の頭痛であるから、客観的には中等度の頭痛と評価しうる。)で間歇的であつて、偏頭痛であるから、末端肥大症の頭痛の典型的な様相を呈している。また、原告の血中成長ホルモン値は、東大病院での放射線治療によつて一度は正常値にまで低下したが、約一か月後には上昇して再び高くなつている。そして、原告が右治療を受けた昭和四一年当時と昭和四九年当時とを比較してみると、昭和四九年の方がトルコ鞍に若干の改善が認められること以外には自他覚症状に著変がなく、むしろ、昭和四九年の方が身長が五cm伸び、体重が七kg増加して、顔貌もより一層ひどくなつている。すなわち、昭和四九年当時も原告の末端肥大症は依然として活動性であつたことが認められる。さらに、昭和五二年の鑑定の際にも、原告の末端肥大症にはなお活動性が残存していることが確認されている。さらに、放射線治療中、原告は神経質になつて頭痛の原因を頸動脈撮影と主張する等、末端肥大症患者特有の感情不安定を示している。したがつて、原告の現症状は、末端肥大症の症状そのものであつて、これに末端肥大症患者特有の感情不安定が加わつていると考える余地が十分にある。〈以下、省略〉

(伊藤博 宮崎公男 原優)

別紙一、二〈省略〉

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